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『みんなのいえ』 〜至福を感じる笑い泣き〜


みんなのいえ スタンダード・エディション

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私事ながら、昨年、家を新築した。といっても従来の家が築35年が過ぎ、方々にガタがきて必要に迫られて、取り壊し、やっと建てたもの。大半が借金から成る小さな家ながら、わが家にとっては一大事業であった。

設計は1級建築士の友人に依頼、そして建築は、彼の父親である大工の棟梁(とうりょう)と、そのお弟子さんたち。親子だから仕事はスムーズに運ぶだろうと思ったら、大間違い。予算が潤沢にあれば何も問題は無いのだが、なにぶんにも低予算の中でのやり繰り。

息子の設計士は、現実的に予算内で収める仕事を追及するが、父親は職人のこだわりで、採算を度外視した良質の材木を使用する、といった具合で対立。顧客の立場からすれば、おやじさんの心意気はうれしく有難いだけなのだが、それでは経営が成り立たないという息子の想いもよくわかる。まさに、あちらを立てればこちらが立たず、家も建たずである。

映画「みんなのいえ」は、そんな私の経験をさらにデフォルメしたような話が展開される。

30代半ばのシナリオライター夫妻(飯島直介・民子)が家を新築する。設計は、民子の大学時代の後輩で、米国帰りの気鋭のインテリア・デザイナー(柳沢)に依頼。気鋭のデザイナーとはいっても、住宅設計は初仕事。片や、建築を請け負うのは民子の父親で、この道50年の大工の棟梁(長一郎)。

柳沢は、斬新(ざんしん)でアーティスティックに、長一郎は、がっしり・長持ち・住みやすくと、志向性は全く別の対照的なもの。玄関ドアひとつにしても、柳沢は米国風に内開き、長一郎は無条件に外開き。寸法はインチか尺かで対立と、あらゆる局面でぶつかり合い、遅々として仕事は進まないのである。果たして飯島家の住宅は完成するや否や…。

棟梁役の田中邦衛のやんちゃな頑固じじいぶりと、デザイナー役の唐沢寿明の高慢とも思える自信家ぶりは、双方共譲らぬ熱演。意外に、二人の間でオロオロする直介役の田中直樹が好演、八木亜希子も堂に入った女優ぶりで、うれしい誤算。

そして、棟梁の昔なじみの職人仲間を演じた、かつてはどこかで観た、斬(き)られ役・悪役の名脇役たちの一人ひとりに血が通い、キャラクターが活(い)きているのがうれしい。ほかにも意外なキャスティングのアソビもあり、これが監督2作目とは思えぬ三谷幸喜の演出。そもそもこの映画は、三谷夫婦が、2年前に家を新築した時の体験を基にして描かれたもの。

昨年七月に着工したわが家は、設計士(息子)と棟梁(父)の意見のくい違いはあっても、翌8月初旬には上棟式を済ませる、順調な進捗(しんちょく)状況で安堵(あんど)していた矢先、棟梁が急逝。脳梗塞(のうこうそく)だった。棟梁亡きあと、その薫陶を受けた職人と息子が遺志を継ぎ、昨年10月末には無事完成。

半世紀を超える棟梁のキャリアの最後の仕事が、わが家の材木に線を引く“墨つけ”だった。映画の中で、長一郎が、墨壺を持って墨つけをするシーンに、この棟梁の姿が重なる。

職人の意気とこだわりに甘えさせてもらった至福を、あらためて感じることができた、笑い泣きの1本だった

2001年6月15日 (敬称略)