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“加害者”側から描く戦争『地獄の黙示録・特別完全版』


地獄の黙示録・特別完全版

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『地獄の黙示録』(F・F・コッポラ)が日本で封切られたのは、1980年2月16日だから、ちょうど22年前になる。

ベトナム戦争が泥沼化の一途をたどっていた1960年代後半、米国陸軍情報省所属のウィラード大尉にサイゴンで、ある特命が下る。それは、かつて、数々の武勲を挙げた理想的米国軍人だった、カーツ大佐の極秘暗殺だった。彼は、軍隊を逸脱し、ナン川上流のジャングルで私兵集団を率い、帝国を築いているという。ウィラードは、特命を果たすべく、巡視艇でナン川をさかのぼり、ベトナム戦争を体験していくのだった。

初公開時は、戦争の狂気や悲惨さは伝わってきたが、カーツが何故、理想的軍人生活を捨てて、あのような行為に走ったのかが理解しにくく、2時間30分の上映時間が長く感じられたものだった。ところが、現在公開中の『地獄の黙示録・特別完全版』は、私の濃い霧に覆われていた部分を、ようやく晴らしてくれた。

『…特別完全版』は、オリジナルでカットされていた53分を追加編集し、3時間23分もの長尺だが、人物像や、エピソードの輪郭が鮮明になったために、観る側としてはかえって短く感じられるものとなった。

あの有名な、ワーグナーの『ワルキューレの騎行』を流しながら、海沿いの村を空爆するキルゴア中佐は、無惨に並ぶ子供や老人の屍(しかばね)の上に、喜々としてトランプのカードを放り投げる。彼が村を空爆した理由は、大好きなサーフィンに適した波が来るからの一点。それでいて傷ついた母子をヘリに乗せ、救おうとする“欺瞞(ぎまん)”。フランス人入植者、プレイメイト、カーツの独白等々、今回追加されたシーンには、随所にアメリカの戦争に対する“欺瞞”が描かれている。それは、そのまま戦争に対するコッポラのメッセージとなり、22年後の今、一層の輝きを放つ。

戦争映画というと、どうしても自国の正義や被害体験を描きがちで、『地獄の黙示録』は、加害体験を描いたものとしても画期的だった。

日本の戦争体験も例外ではなく、“加害”の部分を描いた作品は少ない。五味川純平の原作を小林正樹監督が映画化した『人間の条件』全六部作(1958〜61年)は、その点で稀有(けう)な作品である。

主人公の梶は、太平洋戦争中、満州(現中国東北地方)で鉱山会社の労務係として働いている。そこには、中国兵の捕虜や日本軍に捕らえられた中国人たちが大量に送り込まれ、奴隷労働を強いられている。梶は、他の労務係のように彼らを酷使、虐待することに耐えられず、彼らをかばい続ける。憲兵ににらまれた梶は、軍隊に招集され、そこでも反抗分子として迫害されるのだが、屈することなく己を貫き通し、死んでゆく。

あの狂気の戦争の最中、現実的には考えにくい悲劇の英雄像ではあるが、日本が戦時中、中国大陸で行ってきたことを描こうとした、当時の映画人の気概は大いに評価すべきである。この映画の前半で、力及ばず、中国人捕虜を見殺しにしてしまった梶が、中国人慰安婦から「リーベンクイズ」となじられる場面がある。字幕には「日本人の鬼」と出ていた。このヒューマニストの梶でさえ、中国人にとっては“鬼”だったのだ。

『リーベンクイズ』がそのままタイトルとなった映画が、渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映中である。

あの戦争で、中国人に残虐行為をした元日本軍兵士14人が、その体験をカメラに向かって告白するドキュメンタリー映画。強制連行、拷問、婦女暴行、虐殺、生体解剖など、目をそむけたくなるような事実が、“加害者”である彼らから明らかにされる。近所のおだやかな表情のおじいちゃんたちと、何ら変わらない彼らの口から発せられるので、余計に戦争の狂気や悪魔性が浮き彫りになる。

この映画で最初の証言者として登場するのは、昨年10月に亡くなった上山市の土屋芳雄さん(享年91歳)だった。その勇気に敬意を表し、ご冥福をお祈り致します。

2002年2月15日 (敬称略)