ちょっとだけ年表
2011年 |
4月1
日 FM山形で 『荒井幸博のシネマ・アライブ』がスタート 新作、旧作、音楽、ゲスト すべて映画三昧の55分番組のパーソナリティを務める |
2008年 |
8月15・16日 『明治ノ芝居小屋カラ』 (鶴岡市内川沿い魚市場) (新庄市民プラザ・南陽市民会館・三川町公民館・大石田町福祉会館) |
2007年 |
11月10日 荒井幸博&ハイリーフウッドオーシャンズ ディナーパーティー 2月17日 『荒井幸博と唄おう!〜昭和歌謡のひろば〜』 |
2006年 |
12月3日 東根市『やまがたマ・パ・ジ・バ子育てミーティング1,2の3』にてトーク 12月2日 JA鶴岡北支所組合員交流会 講演 (東京第一ホテル鶴岡) 11月16日 山形大学就職支援ユニット主催講演会 (山形大学) 11月11・12日 『第3回ひがしね湯けむり映画祭』 コーディネート *ゲスト倍賞千恵子さん (東根温泉花の湯ホテル、青松館) 10月26日 『なつメロファンの集い』 (中山町ゆらら) 10月24日 山形農協女性部西郷支部講演会 (上山西郷支店2階会議室) 10月21日 殖銀従組主催『ヤングセミナー』 講演 (天童ホテル) 10月15日 谷地八幡宮講演 10月12日 山形農協合併10周年記念ビリーバンバンコンサート コーディネート&司会 (山形テルサ) 9月18日 『うまいものSUN 直らじお』にコンサートを前にしてビリーバンバンのお兄さん菅原孝さんが電話出演 8月4日 『置賜フィルムコミッション・フォーラム』 山川元監督、栗田政弘氏と供にパネリスト参加 7月10日 『なつメロリクエスト電話でこんばんは!』に加藤登紀子さん電話出演 7月9日 山形市PTA連合会主催「子育てシンポジウム」パネリスト参加 7月3日 JAやまがた総代女性部講演 6月9・16・23・30日 チェリア・シネマの集い『スタンドアップ』 上映会&トーク コーディネート&トーク 金山町・飯豊町・村山市・酒田市 5月27日 『第2回村川透映画祭』 コーディネート (村山市民会館) *ゲスト高橋英樹さん、須藤雅宏さん、村川透監督 (5月26日 村山市立楯岡中学校で、村川監督とトーク) 4月30日 『伴淳映画会』 ナビゲート *ゲスト赤塚真人さん(米沢市民文化会館) 4月2日 新番組『うまいものSUN直らじお』 (JAやまがた提供) 山形放送ラジオ毎週日曜pm5:30-6:00)がスタート 3月30日 シネマトーク&昭和歌謡うたごえメドレー (東根グランドホテル) 3月5日 村山地区お祭り商業協同組合10周年祭トークショー (山形市ビッグウィング)*ゲスト赤塚真人さん 2月4日 山果連果実出荷組合婦人部講演 (天童温泉王将) 1月24日 山果連生果出荷組合婦人部講演 (上山葉山温泉古窯) 1月2日 『なつメロリクエスト電話でこんばんは!新春スペシャル』 *田中邦衛さん、大杉漣さん、村川透監督、赤塚真人さん、ビリーバンバン菅原孝さん、伊藤咲子さんに電話出演戴く。 |
2005年 |
12月26日 『なつメロリクエスト電話でこんばんは!』 にスタジオ・ジブリ鈴木敏夫プロデューサーが電話出演。 村山市で『村川透映画祭』をコーディネート |
2004年 |
12月19日 『シネマDEディナー気分は映画の主人公vol.2』 コーディネート&語り (オーヌマホテル) 12月4日 『平成16年度JA物流安全輸送推進大会』 講演 (協同の杜大講堂) 11月26日 西川町志津温泉つたやにてシネマトーク (西川町志津温泉つたや) 11月20日 俳優・赤塚真人さんとトークショー (国際ホテル) 11月19日 講演 (萩野地区公民館) 11月18・19日 『伊藤咲子ディナーショー』 司会 11月18日 講演 (オーヌマホテル) 11月14日 ドキュメンタリー映画『人として生きる』上映会 11月13日 『なつメロリクエストファンの集い』 (大石田町あったまりランド深堀) 11月5日 山形交響楽団、荒井幸博 『シネマ イン クラシック』 11月2日 講演 (鈴木製粉所石臼館) 10月21日 『なつめろファンの集い』 (中山町ゆらら) 10月16日 『田中邦衛トークショーインかねやま』 コーディネート 9月11日〜14日 『ひがしね湯けむり映画祭』 コーディネート |
2003年 |
9月 ニューヨークにて 同主催で再び映画ゆかりの地を訪れる。特にニューヨークは、あの9・11テロのちょうど1年後ということもあり、グランドゼロに衝撃をうける。 |
2002年 |
5月 ロサンゼルスにて 山新観光主催の『荒井幸博といく映画の旅』で映画ゆかりの地を訪れる。 |
1998年 |
11月 天童市成生の方々と、田中邦衛さんをお招きしてトークショーを行う。以降、邦衛さんはご夫妻で毎年のように山形にいらっしゃり、交流を深める。そして、県内各地でトークショー、交流をしていただく。 4月 山形放送ラジオ『なつメロリクエスト電話でこんばんは』を担当。 |
1997年 |
8月 『若者たち』公開30周年企画上映。 会場の遊楽館ロビーには、公開時(1967年)の、若者をとりまく政治や文化状況等をパネルに表し展示。BGMは当時のヒット曲。そして、10代から50 代まで各世代のパネリストによるシンポジウムを開催。この山形でのささやかな企画が、配給会社を動かし、翌年、東京上映から全国に拡がることに。 |
1996年 |
9月 公開の村川透監督『あぶない刑事リターンズ』に、ちょっとだけ出演させて戴く。 |
1995年 |
4月 独立。 7月から山形新聞夕刊に「シネマ遊楽館」の連載を始める。 また、ほぼ同時期から山形放送テレビ「ピヨ卵」でも映画紹介を始める。 |
1994年 |
1月 村川透監督と出会い、同年11月、5日間に亘って村川透映画祭を開催。 (ヌーベルF) |
1993年 |
2月 『砂の器』を、映社会の仲間と企画上映(当時勤務していた映画館フォーラムにて)。エイズ予防法が簡単に出来た背景には、約90年も生き続けた悪法「らい予防二関スル件」が大きかった。わが国におけるハンセン病差別の歴史を知ろうと思い立つ。 12月〜’95年6月まで、毎日新聞地方版に毎週エッセイ(ペンネーム)を連載。 |
1992年 |
讀賣新聞地方版で半年、毎週エッセイ(ペンネーム)を連載。 |
1990年 |
秋から山形放送ラジオにて映画紹介を始める。 |
1989年 |
11月 高畑勲監督、鈴木敏夫プロデューサーが訪ねて下さり、『おもひでぽろぽろ』の構想を伺う。’90年春から山形篇を手伝わせてもらう。’90年7月の紅花の最盛期に高畑監督はじめスタジオジブリ スタッフ16名とロケハンを共にさせてもらうなど、貴重な体験を積む。そして’91年6月に公開、大ヒットする。 1月〜10月の開催に向けて 故・小川紳介監督の提唱により山形国際ドキュメンタリー映画祭のボランティアネットワーク作りの一翼を担う。 |