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熱い映画「若者たち」 本音言い合う"ひたむきさ"


若者たち

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若者の間で「まじめ」という事がダサいと疎(うと)まれ、軽んじられるようになってから、しばらくたつように思う。「それ、マジ?」のように、まじめをマジと呼ぶ芸能界での業界用語が一般化したあたりからだから、かれこれ20年にもなるのではないだろうか。

そのころから若者は、人生や政治・社会を語ることなく、その場限りの"笑い"に逃げ込むようになったように思う。子供たちは皆、家庭で隔絶された個室を持ち、自分だけの世界に寵(こも)るが、学校に行けば"ボケ"や"ツッコミ"を器用に使いこなし、盛リ上がったノリノリの状態を作リ出す。

この"ノリ"についていけない人間は友達の中で落ちこぼれる。ところが、このノリでつながった友情は表面的なもので、決して本音や悩みを互いに打ち明けることはない。たとえ、相手が間違っていると思っても、それを指摘して、気まずい空気を作ったり、自分が嫌われるような愚は犯さない。子供時代から世間を渡る気の使いようを覚えてしまっているのである。

"子は親を映す鑑(かがみ)"の言葉通り、この傾向は大人社会にも十分当てはまる。嫌われるというリスクを承知の上で相手に直接苦言を呈するという人は稀(まれ)になってしまった。かつてはたくさんいたはずなのだが。

昨年2月19日付本欄でも扱っているが、映画『若者たち』(森川時久監督・1967)の登場人物は、相手が傷つごうが、自分が嫌われようが、そんなことはお構いなしにズバズバと本音を言い合う。それは、個人のエゴや保身からなどではなく、相手を思いやればこそのもので、皆、生まじめなまでに、それぞれの人生や生き方を考え、悩み、論じあうのである

もともとこの、父母を亡くした佐藤家の五人兄弟の物語は、毎日新聞の「ある家庭欄」に紹介された実話を基にフジTVが1966年2月から連続ドラマとして放映したもので、それが学歴差別、学園紛争、在日朝鮮人問題等々、扱うテーマの社会批判性の強さにより、当時の若者の間で大反響を巻き起こすも同年9月に突然、打ち切りとなる。視聴者からの強い要請にこたえるべく、TV版と同じスタッフ、キャストで作られたのが映画『若者たち』である。

本作は、完成後も「内容はいいが、台詞(ぜりふ)過多で生まじめ過ぎ商売にならない」との理由で、当時、市場を独占していた邦画五社の配給ルートに乗せてもらえず、半年間のお蔵入り。そして67年12月から、公民館ホールや学校体育館等へ映写機・スクリーンを持ち込んでの自主上映、上映後には、役者を交えての討論という形で、全国に上映の輪が肱(ひろ)がり、その上映運動は、大成功を収める。映画の内容・上映形態ともども、熱い作品なのである。

この『若者たち』を来る8月31日、山形市の遊楽館ホールで上映することが決定した。製作、公開された30年前は、国外においては、ベトナム戦争の泥沼化、ソ連のチェコスロバキア侵攻、パリの五月革命、中国の文化大革命…、国内では、日米安保問題、沖縄返還、三里塚闘争、学園民主化、公害問題…と、若者が「異議あり」を唱える問題が山積の祉会情勢で、若者が熱いことが当たり前だった。

だから、高度経済成長に終焉(えん)を告げ、バブルがはじけ、米ソ東西冷戦の無くなった今、本作を観(み)ても時代錯誤で違和感が生じるのでは、の危倶(ぐ)も無いではなかった。しかし改めて見直してみると、家族や友人・恋人そして社会への真筆(しんし)な愛のドラマとして新たな感動を覚え、そして、そのひたむきさに圧倒される。進学、就職、結婚、労働等々、個人が抱える問題は30年後の今も何ら変わることはなく、悩みや、本音を言い表しにくくなった分だけ、より深刻化したと言える。

先ごろ終了したフジTVドラマ『ひとつ屋根の下』は、この『若者たち』を基にしたものだが、ほかにも『いいひと』、『月の輝く夜に』、『こんな恋の話』と最近のフジのドラマには、自分の事はさておき、他人のために走り回る、いい意味でお節介な主人公が並ぶ。物質優先主義の行き着いた先の、心の荒廃した今への警鐘なのか。『若者たち』のエキスを、ドラマに注入し始めたように私には思える。

若者たち
絵:菊地敏明

1997年8月11日 (敬称略)