ネオボランティア元年 手作りの山形映画祭
絵:菊地敏明
山形国際ドキュメンタリー映画祭が大盛況のうちに幕を閉じようとしている。
89年から隔年で始まったこの映画祭も、ことしで五回目。過去四回における国内外での映画人からの高い評価は揺るぎないものがあり、その評価や期待は今回さらに高まったものと確信する。
『アジア干波万波』と名付けられたミューズでのアジア映画特集は、連日の立ち見。そして、世界各国420本の応募作の中から選ばれたインターナショナル・コンペティション15作品にアジアの作品が4本(フィリピン、台湾各1、日本2)も入る"快挙"。
思えば、この"映画祭の父"ともいえる故小川紳介監督の提唱で第一回に行われたティーチイン「アジアの映画作家は発言する」は、日本を除くアジア諸国では文化映画や政府のプロパガンダ映画以外にはドキュメンタリー映画が作られていない、という当時の状況と併せて、その年のコンペ15作品の中にアジアからの作品が一つもなかったという実情に端を発していた。
今回の出品作『プライベート・ウォーズ』(フィリピン)の監督ニック・ディオカンポと『望郷』(台湾)のプロデューサー焦雄屏はともに89年のティーチインの参加者だった。「故小川紳介がまいた種は確実に実を結ばせ、花を咲かせようとしている」。この舞台あいさつでの焦雄屏の言葉には胸を熱くさせられた。
このほかレギュラー企画の『日本ドキュメンタリーの模索(ヌーベルF)』はいよいよ80年代以降のものとなり、小川プロが上山市に移り住んでからの作品と、そして『山谷』『ゆきゆきて神軍』などの記憶に新しい話題作が上映されたこともあり動員アップ。これは、開・閉会で上映された故・加藤泰監督『ザ鬼太鼓座』効果もあったものと思われる。
そして、遊楽館ホールで上映された『大東亜共栄圏と映画』は、二度と見られないであろう貴重なフィルムが集まっただけでなく、歴史を冷静に見つめ直す意味でも画期的な企画だった。久しぶりの『日本パノラマ』の日本の若き監督特集では、"先もの買い"を楽しむことができた。コンペ作品をはじめとする、上映されたすべての作品に優劣などあろうはずもなく、これらの作品監督に対する感謝のおもいでいっぱいである。
また、市民の積極的なボランティア参加の広がりにも目を見張るものがあった。従来の映画愛好者グルーブ"ネットワーク"を中心としたデイリーニュースの編集、市民賞の運営、そして山形ビューティフルコミッション主体での深夜までの交流の場"香味庵クラブ"の運営等は今回も継続され一層の人気を博した。
草月流の方々によるメーンステージ上への作品提供も忘れてはならない。新たに加わったのが、海外からのゲストを介添え案内するアテンド役の外国語ボランティア、「ホッとなる広場」でのインフォメーション、各会場での受け付け、そしてウェルカムパーティーの運営である。このパーティーは、今回はすべて市民の手作りで、場所を文翔館の中庭に移してのガーデンパーティー。地元の珍味の数々に加えて、バングラディシュからの留学生による特製カレーなどのエスニック料理もあり、ゲストは大感激。
映画を見るだけではなく、もっと積極的に映画祭に参加したいが、参加の仕方が分からないとうずうずしていた市民が堰(せき)を切ったように、さまざまな角度からかかわリ出したネオボランディア元年の映画祭だったのではないだろうか。過去四回、東京事務局に任せっきりだった開会・閉会式の企画演出運営も市民の手によるもの。その演出の中心にいたのが、今回初めて参加した中井由美子さんという主婦だったのが象徴的である。
次回の開催は’99年10月。20世紀を締めくくり、21世紀の扉を開ける重要な映画祭となる。こんな面白いことほかの人にやらしておく手はないですよ。どうです、あなたも。
1997年10月13日 (敬称略)