畑谷舞台の「城取り」 郷土史見直す上映会
絵:菊地敏明
高校時代、日本史は好きで得意な科目だった。「西暦1600年は何が起きましたか?」と問われれば、「関ケ原の戦い」と答え、「秀吉亡き後の天下獲リを狙う徳川家康率いる東軍と、豊臣家への忠誠を誓う石田三成を中心とする西軍の"天下分け目の戦い"で、東軍は○○○、西軍は○○○」などと軽く並べたりもできるのである。
あのころから二十数年。"関ケ原の戦い"があったその時に、百二十万石の大国・会津の上杉景勝の軍勢が、最上義光を領主とする二十四万石の小国・最上を攻め落とそうとした重要な合戦であったということを、恥ずかしながら、知らないままでいた。どうやら、私が得意だと思い込んでいた日本史は受験科目としてのものだったようである。
私が、この足元で起きた史実に目を向けるきっかけとなったのは、山辺町畑谷地区での上映会だった。
県民の森の西側にある畑谷公民館は、昭和三十年代までは、定期的に上映会なども開かれた畑谷地区の文化の殿堂。時代は移り変わり、新しい施設も建ち、最近では、年一回のビアパーティーの会場となる以外は物置と化していた。そんな変わり果てた様子を寂しく切なく思っていた、畑谷青壮年会の人たちが立ち上がる。「自分たちが子供のころ、映画で夢を与えてくれたこの公民館を甦(よみがえ)らせ、もう一度上映したい。それも、自分たちが楽しんだチャンバラ映画を、自分たちの親の世代や子供たちに観せたい」。そんな想(おも)いで、昨年、中村錦之助主演『東海一の若親分』の上映会を実現させ、"文化の殿堂"を生き返らせたのだった。
たくさんのお年寄りから喜ばれたことは言うまでもない。そして、ことしも企画された。作品は、石原裕次郎主演の『城取り』(昭和四十年)。原作は司馬遼太郎の『城を取る話』。これが、上杉対最上の最初の合戦の場となった畑谷城の攻防を基にして描いたもの。畑谷の地名はそのまま使われるが、城は、畑谷城ではなく多聞山城、領主は最上義光ではなく伊達政宗など、史実との相違点はあるが、上杉の直江兼続以外は皆架空の人物なので目くじらを立てるほどのものではない。
領主の圧政に苦しむ畑谷の村人が、上杉の助人、車藤座(裕次郎)とともに城を倒そうとする設定の方が気になるが、史実をヒントにした荒唐無稽(むけい)な娯楽時代劇と割り切れば腹も立たない。配役も、裕次郎のほかに、千秋実、城を守る闘将・赤座刑部に近衛十四郎、兼続に滝沢修、村娘に中村玉緒、姫に松原智恵子、元忍びの者に石立鉄男と豪華な顔ぶれ。監督は、日活時代から裕次郎作品を数多く演出してきた舛田利雄。映画は裕次郎の活躍で、畑谷城(多聞山城)が落ちるハッピーエンド?で終わる。実際、必死の抵抗にもかかわらず、最上の西の前線要地・畑谷城は落とされたのだが、上杉軍の精鋭を二日間も足止めにした働きは大きかった。
百二十万石と二十四万石という、大人と子供の戦いのような上杉と最上の合戦は、最終的に、最上に軍配が挙がる。"最上義光という領主を見直すべきでは…"と遅ればせながら思った次第である。
畑谷の人たちによる、約四百年前の畑谷を舞台にした映画の上映会は、私に、眠りっ放しだった向学心を呼び起こさせてくれた。
1998年6月15日 (敬称略)