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VTR開発人間ドラマ「陽はまた昇る」 〜なぜか聞こえる“王将”〜


陽はまた昇る―映像メディアの世紀 (文春文庫)

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昭和の歌謡史において一時代を築いた村田英雄が亡くなった。彼が唄(うた)った『王将』は子供のころの愛唱歌だった。

♪ふぅけえばぁとぶぅよおなぁしょおぎのをこまあにい〜♪
と、意味もわからず、無邪気に唄っていた。山形に住む四歳の男の子が気に入っていたぐらいだから、大ヒットしたのは言うまでもない。戦後初のミリオンセラーとなったこの曲は、無学ながら独自の棋風で腕を磨き、東京の関根名人に飽くなき挑戦をする大阪の棋士・坂田三吉を唄ったものだが、これに当時のサラリーマンが、自分たちを“吹けば飛ぶよな将棋の駒”と重ね合わせ、そして“おいらの意気地”“おれの闘志がまた燃える”と、自身を鼓舞し愛唱したのだろう。

W杯サッカーで、決勝トーナメントまで進み、大健闘した日本代表も、ヨーロッパや南米のサッカー先進国からすれば正(まさ)に“吹けば飛ぶよな”存在だった。その彼らが、世界中の人々を刮目(かつもく)させたのだから恐れ入る。

公開中の東映映画『陽はまた昇る』は、1970年代前半から80年代にかけて、家庭用VTRの開発・普及にソニーと激しく争った、日本ビクター横浜工場ビデオ事業部のスタッフにスポットを当てたもの。

当時のビクターVTR事業部は家電業界八位の赤字部門。そこに事業部長として赴任した加賀谷に会社から課せられた役割は、421人の従業員の20%のリストラだった。しかし加賀谷には、会社の財産である従業員を整理することなど、到底できることではなかった。

彼は「カラーテレビが普及した後は家庭用VTRの時代が来る。これをわれわれの手で創(つく)ろう」と421人を守るため、削減ではなく開発を選ぶ。しかし、この時、既に家電メーカーの雄ソニーは、家庭用VTRの商品化まであと一歩のところまで漕(こ)ぎつけていた。さまざまな難題を克服していく加賀谷たちの前に次々と大きな壁が立ち塞(ふさ)がってくる。

ソニーのベータマックス対ビクターのVHS。結果は判っているものの、その裏側にはこんな人間ドラマがあったのかと、ラストでは不覚にも涙してしまう。音楽は大島ミチルのすてきな曲が流れていたのだが、私の頭の中では『王将』がリフレインして流れ続けていた。

最近、『突入せよ!あさま山荘』、金大中拉致事件を描いた『K・T』、そして『陽はまた昇る』と70年代前半の出来事を映画化したものが立て続けに公開されている。この三作品に共通のアイテムが1つ。71年秋に発売された日清カップヌードル。当時、いかに画期的で重宝がられたのかが窺(うかが)える。

2002年6月21日 (敬称略)