"県民映画"「たそがれ清兵衛」 〜何気ない場面に胸熱く〜
映画『たそがれ清兵衛』の時代は幕末、舞台は、庄内地方、現在の鶴岡市に当たる海坂藩。
井口清兵衛は、海坂藩で御蔵方を務める禄高(ろくだか)五十石の平藩士。妻を労咳(ろうがい)で亡くし、十歳と五歳の娘と、痴ほうぎみの母親を抱えているため、朝から夜遅くまで働きづめの暮らしを送っていた。妻の闘病に費やした治療代で借金がかさんだこともあり、虫籠(かご)を作る内職をやってどうにかこうにか家族を養っていた。それ故、自分の成り振りに構ってなどいられなかった。
何日も風呂に入らず、着物は着たきりの汚れ放題で破けていてもそのまま。よって異臭を放つようになる。時の下城太鼓が鳴ると、書類を片づけ、同僚の誘いなどは一切断り、たそがれ時に一目散で帰宅することから、同僚たちは、彼を"たそがれ清兵衛"と陰で呼び椰楡(やゆ)する。彼らの呑(の)み屋での酒肴(さかな)は、そんな清兵衛を話題にして蔑(さげす)み、嘲笑(ちょうしょう)することだった。
このように自分よりも劣っている、弱いと思われるものをターゲットにして優越感に浸るというのは、現代の職場や学校でもありがちな光景である。
そんな清兵衛の噂(うわさ)を聞きつけた本家の伯父が、清兵衛を恥ずかしく思い、屈辱的な縁談を押しつけようとする。清兵衛は、それに対し「今の暮らしを伯父が考えるほど惨めなものとは思わない。二人の娘が日々育っていく姿を見ているのは、畑の作物や草花の成長を眺めるように実に楽しいもの」ということを言い、毅然(きぜん)と断わる。
清兵衛にとって、自分への他人の評価などどうでもよく、娘たちが健やかに成長し、母が健康であってくれさえすればそれで良かったのだ。そんな父の姿を見ているから娘たちも炊事洗濯、畑仕事…とよく働く。
質素な夕食では姉が、自分の少ないおかずを、そっと妹と祖母に分け与え、幼い妹は祖母を寝かしつける。虫籠作りの内職に励む父の傍らで、裁縫の稽古(けいこ)の雑巾(ぞうきん)刺しをしながら論語の素読をしている長女。その長女に学問の必要性を説く父。そんな一つ一つの日常の。何げない場面に胸が熱くなる。
映画『たそがれ清兵衛』は、鶴岡市出身の故藤沢周平の『たそがれ清兵衛』『竹光始末』『祝い人助八』の三つの短編を土台にして作リ上げたもの。
これまで時代劇は数多(あまた)あれど、貧しい下級武士の日常をこれほど丹念に描いたものはなかった。あの黒澤明でも成し得なかったことを、山田洋次監督は、自身77作目の本作で初めて本格時代劇に挑戦し、成し遂げた潭身(こんしん)作。
清兵衛のような、慎(つつ)ましい暮らしの中でも、誇りを持ち続け凛(りん)として悠然と生きる男の姿は誰しもが求めるものだが、藤沢周平と山田洋次の幸福な合体があってこそ映画化できたものといえる。
愚直なほど家族のためだけに生きているが、実は剣の使い手という清兵衛役は真田広之がハマリ役で凄(すさ)まじい殺陣も披露してくれる。
そして、清兵衛との一途(いちず)な愛をほのかに交す朋江(ともえ)役の宮沢リえには女性の理想を見、健気(けなげ)で愛らしい二人の娘には思わず頼(ほお)ずりをしたくなるほど。同僚武士役の赤塚真人(まこと)たちの、いいかげんな調子の良さは、多くの現代人に通じ、敵役の大杉漣(れん)、田中泯(みん)の凄みは観客を震え上がらせる。
そして、登場人物たちの庄内弁にニヤリとさせられ、何よリ、ロケ地となった庄内の鳥海山や月山、赤川などの風景が嬉(うれ)しい。見どころ満載の映画だが、映画を見ている時だけでなく、観賞後も感動が心に浸み入るように広がってくる映画である。
山田監督が言うように"県民映画"として楽しめることはもちろんだが、映画全盛の昭和20−30年代に映画に親しみ、今は映画館から足が遠のいた人たちにこそ自信を持ってお薦めしだい作品である。
映画『たそがれ清兵衛』は11月2日から全国一斉公開。県内も全劇場で公開される。今しばらくお待ちを!
2002年9月20日 (敬称略)