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『蕨野行』の生と死 〜死にゆく人たちの誇り〜


わらびのこう

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今週の日曜の朝、突然の訃報(ふほう)がわが家に飛び込んできた。8人姉妹の母の長姉が30分前に亡くなったというのだ。年齢は89歳と高齢だったが、数日前に電話で元気な声を聞いたばかり、そして元旦に届いた年賀状には“命耀(かがや)く羊歳元気と笑いが一番ですね”と力強い筆字が躍っていたので、にわかには信じられない思いだった。

聞けば、伯母は、前夜9時ごろ寄り合いから帰宅し、当日朝はいつものように起床。家族で8時ごろ朝食をとっている際、持病のぜんそくの調子が良くないので息子に依頼して病院に連れて行ってもらう。駐車場からは歩いて診察室へ向かい、看護師に促されるまま体温計を脇にはさむ。1分ほどして伯母は横になり、そのまま息を引きとる。

伯母は、病床に臥(ふ)せることなく、前ぶれもなしに逝ってしまったのである。

教師だった伯母は、昭和15年に同僚教師と職場結婚をし、翌年から長女、長男を立て続けに産み、そして3人目の子を身籠(みごも)る。妊娠6ヵ月の昭和18年6月、夫は戦争に招集される。そして自分の誕生日と同じ12月16日に男児を出産。剛(たけし)という名は、夫が戦地フィリピンから命名してくれたもの。

20年4月、夫戦死の報が届き、以来、教師をしながら女手一つで3人の子を育てあげ、孫やひ孫に囲まれるようになっても、晩年という言葉を知らないかのように精力的に生き、そして文字通り、眠るように永眠。病院に付き添ったのは、夫が戦地に赴いた時におなかの中にいた剛で、喪主を務め上げる。そして「あまりにも突然で、1週間でも看病をさせてもらいたかった…」と呟(つぶや)いた。

悲しみは深いが、誤解を恐れずに書けば、伯母らしく誰の手も煩わせない見事な死だった。

死ぬまで日常を生き抜いた伯母の姿が、映画『蕨野行』(24日から県内で先行上映予定)の老人たちと重なる。本作は『楢山節考』で知られる“姥(うば)捨て”を描いたものだが、悲惨さや暗さはない。

江戸中期、ある地方の寒村、村の秘したる約定に従い、60歳を迎えた老人たちが、村を出て蕨(わらび)野の丘へ移り住む。自らの意思で死地へ来た老人たちだが、不浄として食べることを禁じられていた鳥や獣の肉を食べてまでも精いっぱい生き抜こうとする。老女たちが無邪気に川で水遊びをしたり、恋をしたりと、里にいる時のたががはずされ、飢えゆく中で、むしろ充実した生を活(い)きる。

本作の恩地日出夫監督は「“介護”という考え方でしか、老人の死をとらえない社会常識は間違っていると思います。老人を“優しく扱う”ことが本人のためというより、老人を見送る側の人のために行われている。死んでいく人たちの意思や誇りについて考えるべきです」という。

現代の医学によってたくさんのチューブを体中に入れ、無理に生かされることが当たり前になった“今”に一石を投じるものである。

長年連れ添った夫婦が、例年通り海辺の別荘でバカンスを過ごし、二人で海水浴を楽しむ。妻がうたた寝をしている間に夫が行方不明に。溺死(できし)?失そう?自死?愛する夫の喪失を認められない妻。シャーロット・ランブリングが素晴らしい仏映画『まぼろし』(山形フォーラム公開中)で、妻役を演じ、揺れ動く心の様子を見事に表現している。

亡くなってしまった愛する人が、もし目の前に蘇(よみがえ)ってきたら人はどうするのか、をテーマにした『黄泉(よみ)がえり』も18日から県内公開され、否(いや)が応でも生と死、死にゆく者と残された者、見送る者についてあらためて考えてみたいものだ。

 

 

2003年1月17日(敬称略)