『裁判員−決めるのはあなた』 〜「司法参加」まず知ることから〜
"司法の危機"が叫ばれてから、いったいどれくらいたつのだろう。1969年、自衛隊の合憲性が争われた「長沼ナイキ基地訴訟」をめぐり、札幌地裁の平賀健太所長が、担当の福島重雄裁判長に「国の判断を尊重するように」と書簡を渡し、裁判干渉をしたあたりからだろうか。
それからしばらくした88年ころから"市民の司法参加"が叫ばれだす。これは、職業裁判官の権力への傾斜の防止とともに、市民が参加することにより、事実の認定に豊富な生活体験を生かせるという利点がある。
裁判に市民が参加するものといえば、映画「十二人の怒れる男」や「情婦」などでおなじみの陪審制裁判がまず思い浮かぶ。これは、無作為に陪審員に選ばれた市民十二人が、事実認定あるいは有罪無罪の判定を行う裁判制度で米国、英国、カナダ、豪州などで採用している。この制度は民主主義の理想でもあるのだが、素人の判断に委ねることの不安と、議論を好まず、義理人情に流されやすい日本人には向かないのではという根強い反対論もある。
遠山の金さん、大岡越前の昔から、お役人は間違いない、お上に何事もまかせるものという風潮が日本の社会には厳然として残っているので、"司法への市民の参加"といわれてもビンとこないのが実情ではないだろうか。そして90年代に入り、米国のO・J・シンプソン裁判で陪審制のマイナス面がクローズアップされる。
粁余(うよ)曲折を経て、政府の諮問機関である司法制度改革審議会は、2001年1月30日に"参審制"を軸に検討すると発表。参審制とは、市民の中から国が任命した参審員が職業裁判官とともに審理、有罪無罪を決定する制度で、独、伊などで採用している。
その直後の2月末には、福岡地検次席検事が、福岡高裁判事の妻の脅迫容疑事件の捜査情報を夫の判事に漏らすという不祥事が起き、司法の独立の信頼は大きく揺らぎ、司法制度改革が急を要するものとなる。そして参審員は裁判員と名を変え"裁判員制度"として06年には施行の運びになる。
裁判官と裁判員の人数など具体的なことはまだ決まってはいないが、来年の通常国会には法案を上程の予定。そんな状況下で日本弁護士連合会(日弁連)が、国民に身近に感じてもらい、より良い制度をつくりたいの思いから企画出資して、ビデオドラマを作った。タイトルは「裁判員−決めるのはあなた」。
年老いた姑(しゅうとめ)が嫁と散歩中に、自宅近くの公園の石段から落ちて死亡。嫁が突き落としたとして、殺人容疑で逮捕される。この事件を評議し裁くのは、一人の裁判官と、選挙人名簿から無作為で選ばれた七人の裁判員。果たして…。
先日、このビデオ上映会が県弁護士会主催で、山形市東部公民館で行われた。新制度の説明を目的として作られたものと思い、さほど期待をせずに見たのだが、私の予想は心地よく裏切られる力強いドラマだった。
裁判官に石坂浩二、裁判員に宇都宮雅代、庄司永建、渡辺哲、中島久之ら、被告に左時枝という絶妙の配役。脚本監修・市川森一、音楽・坂田晃一、監督・石橋冠という布陣。石橋、坂田、石坂の顔合わせはテレビドラマ「二丁目三番地」(71年)「三丁目四番地」(72年)を想起させる。主題歌の「さよならをするために」(ビリーバンバン)は、石坂が作詞し坂田が作曲したものだった。
裁判員制度は、選出方法や、人数、選ばれたことで会社を休む場合の会社の対応など、検討しなければならないことはまだ山積み。しかし近い将来、確実にわが身に降りかかってくる可能性のあることである。
どうせ司法参加するなら納得できるものにしてほしい。そのためにもまずは知ることから。このドラマを見ることがてっとり早いと思う。テレビで放映できれば申し分なし。制度が施行される時に国民が知らなかったでは話にならないのだから。
2003年5月16日 (敬称略)