『さよならクロ』 〜人々に愛され続けた番犬〜
♪君の心に続く長い一本道は、いつも僕を勇気づけた♪で始まるチューリップの歌「青春の影」は私が高校2年生の1974年に発売になり、以来、文字通り私を勇気づけてきたフェバリットソングである。その好きさ加減は、それまで歌い手としては認めていなかった俳優の福山雅治が、昨年リリースしたカバーアルバムのトップにこの曲を据え、しかも原曲のテイストを大切にうたっているのを聴くや一遍でミュージシャン福山のファンになったほどである。
その「青春の影」を主題歌にした映画が現在、東京で公開中と知り、矢も盾もたまらず観(み)に行った。
映画のタイトルは「さよならクロ」(松岡錠司監督)。長野県松本市の松本深志高校に’61年秋から12年間すみつき、職員名簿にも番犬として記載されるほど生徒や教職員、地域の人々に愛され続け、72年、18年の生涯(人間なら百歳)を全うした黒い雌犬が実在した。その名もクロ。これは、松本深志高で教師をしていた藤岡改造氏が98年に上梓(じょうし)した「職員会議に出た犬・クロ」を原作としたもので、友情、切ない恋、衝撃的な永遠の別れなどを10年の歳月の流れで描いている。よって主演の妻夫木聡と伊藤歩は高校3年生から28歳までを演じていたが、二人とも何の違和感なく存在していた。
クロとの交流によって、周囲の人々の心の腫瘍(しゅよう)ともいえる罪悪感、偏見、孤独感、嫉妬(しっと)…がとけるように癒される様が描かれていく。クロは何も特別な力を発揮するわけではない。時に愛くるしく、時にずうずうしく、自然体でそこに居るだけなのである。
クロが交流し見送った生徒は4800人に及ぶという。
クロが松本深志高校の一員になった’61年10月は、NHKのバラエティー番組「夢で逢いましょう」の今月の歌で坂本九が「上を向いて歩こう」を初めて披露した時。翌年には、橋幸夫と吉永小百合が「いつでも夢を」でレコード大賞に輝き、その翌年には舟木一夫が「高校三年生」、三田明が「美しい十代」でデビューを果たす。貧しくとも希望を抱いて努力すれば、明るい未来がきっと訪れるということが信じられた時代だった。その後、高度経済成長とともに若者は大きく変わってはいくが、クロは変わらず愛され続け、’72年11月30日にその生涯を終える。
1匹の犬が学校に10年以上もすんでいられたというのは、’60年代から’70年代前半の、まだ、人が人を信じたり、思いやったりすることが当たり前の時 代だったからこそできたのではないだろうか。“矢ガモ”の例を挙げるまでもなく動物への虐待、はたまた人間同士の凄惨(せいさん)な事件が横行する現代と なっては、クロとその周囲の人たちの交流の実話は、寓話(ぐうわ)のように思えてしまう。
クロは死後、講堂での学校葬によって千人以上の人々に見送られる。
ラストに流れる「青春の影」の一節♪自分の大きな夢を追うことが、今までの僕の仕事だったけど、君を幸せにするそれこそが、今日からの僕の生きるしるし♪ は、主人公の男女のこれからの示唆でもあるが、クロがこの学校の仲間として迎えられた日からの、クロの周囲の人たちへの想(おも)いに感じられてならな かった。あの時代だからクロが存在しえたのだが、今だからこそクロに現れてほしいものだ。
2003年8月15日 (敬称略)