荒井幸博オフィシャルウェブサイト シネマパーソナリティ、映画解説、フリー結婚式司会者。プロデュース、進行等お任せください。

[No.18]  「NOVA」の製作総指揮 たかはし よしひで さん


たかはし よしひで さん「デジタル・スタジアム」(NHKBS2、NHKBSハイビジョン、以下デジスタ)という番組をご存じだろうか。

CG、アニメーション、実写、Web、インタラクティブ…デジタル・アートと呼ばれる、これらの新しい表現で作られた作品を視聴者から公募し、毎回テーマを設けて4・5作品を選び、放送で紹介。

その中から、最もゲストの推薦が多かった作品がベストセレクションとして、年末のグランプリを決定する「デジタル・アワード」に進出するというもので、2000年3月番組スタート以来、番組出身のクリエーターが世界的コンテストで入賞するなど、たくさんの若い才能を発掘し育成してきているらしい。 「らしい」というのは、最近まで、私はこの番組のことを知らなかったからである。

そんな私が番組の存在を知ったのは、山形市で長年にわたって映画を作り続けてきた、「アマチュア 映像 製作 グループ かぶしきがいしゃ」の作品「NOVA」(高橋浩司監督)が、今年5月28日放送のデジスタで紹介され、なんとベストセレクションに選ばれたからだ。

「NOVA」は、潜在能力を覚醒させる「ファイバー・サーキット」を狙う巨大悪徳企業に、タカシ少年とハイパーギャル桃子が敢然と戦いを挑む、SF冒険活劇

この作品がクランクインしたのは、今から20年前の1985年4月。作品の後半では、山形の名だたる建物がドンドン破壊されてゆく。この迫力の破壊シーンや、超能力場面などの特撮部分が、当時の技術では描写困難で、撮影中断を余儀なくされた。

大阪在住ながら、当初から特撮や音楽を担当していた水谷しゅんさんが、2001年からデジタル技術を駆使して、VFX(ビジュアル効果)映像監督として指揮を執り、製作を再開。そして、ついに2003年、超能力戦をはじめとする特撮部分がすべて完成。クランクインから、なんと18年の歳月が過ぎていた。

この映画の特撮部分を、「驚異の映像」と評する文章を目にする。それはもちろんだが、完成をあきらめなかったスタッフの粘りこそが驚異だし、尊敬に値する。

「かぶしきがいしゃ」を率いるの は、「NOVA」の製作総指揮を担当した、たかはしよしひで(本名:高橋良秀、印刷会社勤務)さん。このグループの活動が、長年にわたって続いているのは、彼の人間性によるところが大きい。

たかはしさんは1974年に、当時勤務していた薬品会社の同僚と二人で、「かぶしきがいしゃ」を結成。デビュー作「雪どけの詩」(1974年)、「太陽にさけべ!灰色の空編」(1975年)の後、仲間は増え、「HARDEST DAY」(1982年)、「夢幻伝説」(1984年)、「紅いフォーカス」(1993年)、「紅の森に」(1995年)など、寡作ではあるが、アクション、SF、冒険活劇を作り続けてきた。

「長年続ける」は、この人のキーワード。子供のころから描き始めた漫画は、今も描き続け、1995年に刊行し、全10冊を目標とする「耳鼻科コミック」の主要メンバーだ。また、現在も続けている「漫画同人ホップ」は、中学時代の1966年に、同級生二人で同人誌「SFクラブ」を、ガリ版刷りで創刊したことに端を発している。その同人誌「ホップラ カス」は2000年から、自身のホームページを発表の場としている。

ちなみに「NOVA 」で、VFX映像監督・音楽監督を務めた水谷しゅんさんは、当時の少年雑誌「ぼくら」誌上で会員募集した、たかはしさんの呼びかけに応じ参加した、大阪の小学5年生だった。今や、プロの映像作家として活躍している、水谷さんとたかはしさんの付き合いも40年に及ぶ。

「やりたいことを、できる範囲内でやってるだけなんです」
たかはしさんは淡々と語る。強力なリーダーシップで引っ張るタイプではないが、温厚で謙虚な人柄、内に秘めた情熱が、多くの人の心を引きつけて離さないのだろう。

少年月刊誌「ぼくら」「少年画報」で、「まぼろし探偵」や「ナショナル・キッド」などの冒険ヒーロー活劇に夢中になった少年の日の思いは、53歳の今も何ら衰えることはない。

最近、新たにアニメーション製作に挑戦し始めた。怪獣、宇宙人、未来人、古代人、さまざまな敵の来襲に敢然と立ち向かうSFアニメヒーロー、その名も「そばマンタロウ」。山形ならではのニューヒーロー誕生の予感がして、楽しみでならない。

たかはしよしひでさんは、相変わらず控えめではあるが、創作意欲はますます旺盛である。


 2005年10月4日 「NOVAの制作総指揮たかはしよしひでさん」