[No.20] 『ビリー・バンバン好調の陰に 新庄市出身の森 正明あり』
“♪君はおぼえて〜いる〜かしら〜あの〜白いブランコ〜”と、菅原孝さん・進さんの兄弟デュオ ビリー・バンバンが「白いブランコ」でデビューしたのは、1969年1月15日のこと。37年の歳月が流れても、この曲は何ら色褪せることなく、未だに多くの人に愛唱歌として親しまれている。
彼等は、その後も、72年に「さよならをするために」(日本テレビドラマ「三丁目四番地」主題歌)を大ヒットさせているが、ご本人たちはコンサート等で「この2曲だけで食べています。」と自虐的な発言で笑いを誘う。だからと言って、昔の名前で出ているかというと決してそうではないのだ。
「むぎ焼酎 いいちこ」のCMソングは、88年の「時は今、君の中」(菅原進ソロ)から手掛け、2001年9月から4年間流れた「今は、このまま」に続く現在の「君の詩」は7曲目に当たる。ビリー・バンバンの澄んだ歌声、美しいハーモニーは衰えるどころか一層磨きが掛かり、オールドファンだけでなく新たに若いファン層も増殖しているのだから凄い。
このビリー・バンバンを、曲作りや、演奏活動に於いて力強く支えているのが、新庄市出身のギタリスト兼アレンジャー兼作曲家の森正明さんなのである。
森さんは、1960年4月、新庄市堀端町に生まれ、両親共に教育者という家庭で、三人兄弟の末っ子としてスクスク育つ。新庄中学時代に、6才上の兄の影響で、フォークギターを始め、井上陽水の全曲コピーなどを夢中になってやっていた。その反面、部活でも軟式テニス部キャプテンとして活躍。日大山形高校に進学してからは、友人からハードロック・バンドに誘われ、フォークギターをエレキギターに持ち替え、ディープパープル等を必死になってコピー。この頃、新庄駅前のデパート催事場で、新庄で活躍していたバンドとジョイント・ライブをやる。そのバンドに、ここ10数年、日本のミュージックシーンをリードし続けている音楽プロデューサーの小林武史さんがいたというのは実に興味深い。日大文理学部に入学、上京してからは、益々バンド活動に熱が入る。山口県のテーマパークのショータイムで一ヶ月間演奏をするという経験をした辺りから音楽を生業にできればと思うようになる。
卒業後は、ケントスグループのライブハウスのバンドや、新人歌手のバックバンドで演奏したり、音楽雑誌のライターをしながら生活。決して楽な暮らしでは無かったが、音楽で食べているということが嬉しかった。そんな暮らしの中、知り合いのベーシストから所属事務所に誘われる。そこは、ビリー・バンバンが所属している事務所だった。そして、森さんは、エレキギターをアコースティックギターに持ち替えビリー・バンバンのバックで、リードギターを担当するようになる。1989年12月、森さん29才の時だった。
ビリー・バンバンからは、アコースティックギター演奏や音楽についての様々なことを教わる。それからは、マイク真木、杉田二郎、森山良子、山本潤子等多数のミュージシャンと共演し、小椋桂、岡崎律子等のアルバムに参加する傍らで、2000年には「ルート812森正明」というソロアルバムをリリースするまでになる。これは、音楽各誌で絶賛される。「今は、このまま」(01)からアレンジを任され、ビリー・バンバンのサウンド作りに深く携わるようになる。現在CMで流れている「君の詩」も編曲を担当。
また、1月16日から始まった時代劇『八丁堀の七人』のビリー・バンバンが唄う主題歌「春夏秋冬」は、初めて作曲も担当している。これは、2月15日にビリー・バンバンがリリースするアルバム『春夏秋冬』に「君の詩」や「白いブランコ」等と共に納められているのだが、ここに、もう一曲、森さん作曲の「ボクらはいつも片方の靴」がある。
何処か懐かしい想いにさせてくれる「春夏秋冬」と、壮大で勇気を喚起してくれるような「ボクらはいつも片方の靴」の2曲を聴くだけで、森正明というミュージシャンの幅の広さと音楽性の豊かさが伺える。
森さんは、「ビリー・バンバンと出会ったことにより、自分のミュージシャンとしての道がドーンと拡がりました。お二人は、私の‘恩人’です。」と言い、ビリー・バンバンの菅原孝さんは、森さんを「僕らは、彼がいないとやっていけないと言うくらい大切な人」と語る。
私が、子供の頃から大好きだったビリー・バンバンが、今尚バリバリで活躍していることだけでも嬉しいのに、それを支えているのが、同世代のヤマガタ人だというのだから、これは堪らなく嬉しい。
ミュージシャン森正明に活目を。
2006年2月21日 「ビリーバンバンとともに 新庄出身 森正明さん」